マーク(ハウエル)はそこそこの経済的に恵まれた家の子であったが、ハーバード大学法学部に合格した。しかし喜びもつかの間、なんと父親が学費に充てるはずのお金を全て使い果たしてしまい、進学のための費用がなくなってしまう。
困ったマークだったが、黒人学生のみに適用される奨学金制度を知り、思いつきで何とサンレスタンニングを使用して黒人に成りすますという荒技に出る。その後、マークは人種問題や自分の奨学金のせいで奨学金が貰えないサラ(レイ・ドーン・チョン)の存在を知る。
(上記、wikipediaから引用)
白人である主人公が黒人になりすますという内容のため、公開当時はアフリカ系アメリカ人の間で物議を醸し、『ニューズウィーク』誌では不快な内容の駄作として叩かれた。しかし、これらの抗議や批判があったにもかかわらず、この映画は興行面では成功した…。
とのことで、映画自体の評価はあまり高くないようだが、私はそこまで酷評するような内容の作品だとは思えなかった。
日本人なので、アメリカの人種問題について感覚的にピンと来ていない面もあるだろうが、白人であるマークが黒人になりすますことで、黒人当事者としてアメリカ社会を今までと異なった視点で改めて見渡すことができ、その経験がクラスメイトのサラとの、異人種間の恋愛に発展したことは、アメリカ社会の人種間の融和という面で、とても示唆に富んだ感動的な物語である。ただ白人が、黒人の特徴(いわゆる、黒人あるある)をあげつらって揶揄している作品ではないのだ。
アメリカの歴史の中では、白人が体を黒く塗って黒人を揶揄する、いわゆるミンストレルショウが存在した時期があるので、この映画によって黒人たちに、悪しき記憶を呼び覚ましてしまうということが低評価の理由なのかもしれない(映画ではなく小説で表現されていたら抵抗なく受け入れられそうな物語である。体を黒くしたマークの姿は黒人というより南アジア人のよう)。
が、むしろその大胆な設定によって、黒人に対する白人の嫌悪感・異人種間の深い溝を乗り越えて、マークとサラの仲が恋愛に発展していくヒューマンドラマそのものにスポットライトが当たっているからこそ、厳しい評価を下されながらも、映画館へと足を運んだ人も多かったのかもしれない、と考えられる。
不況の波にあおられて、白人至上主義者やネオナチの過激派グループの活動が活発化し暴力事件が多発した1980年代に、せめて映画の世界では異人種間の融和を見たいという多くの観客側の潜在的な欲求も手伝っていた可能性もある…。
アメリカには本作のモチーフとなった、黒人その他マイノリティの若者に奨学金を出して進学させる制度が存在する。アファーマティブアクション(積極措置)といって、マイノリティや女性の進学、卒業後の就職、昇格、ビジネス契約などに、主に人口比率で特別枠を提供する措置で、1960年代に始まった公民権運動の最大の成果だった。このおかげでマイノリティや女性は一挙に「社会主流化」し、黒人だけでも1000万人前後の新中流層が誕生した。
ただ、この制度によって、いわゆる逆差別が発生しているとする白人側の反発も存在し、本作公開時の1980年代や、2026年現在のように世の中が不況になると、人種問題が再燃し、論争の火種となることがある。心に余裕をなくした白人が攻撃の対象を求めるのだ。
日本にも昨今、外国人が日本人の雇用を奪い、国内の治安を悪化させているとする『外国人問題』なるものが話題に上ることがあるが、アメリカにはこの『外国人問題』が白人にとって常に存在するようだ(白人がネイティブアメリカンの土地に勝手に入植し、白人自ら黒人を奴隷としてアメリカ大陸に連れてきておいて、言える立場ではないはずだが)…。
それにしても、本作の公開からさらに時代を下って2026年現在、北米における白人の割合は6割を下回り、白人の貧困層も増え、白人は特権階級だと主張することも難しくなりつつある。むしろ白人がマイノリティとなって、上記のアファーマティブアクションの恩恵を受ける立場になることも考えられる(AIの台頭によって大学卒業がどれほどの意味を持つのか、この先不透明だが)。
アメリカの歴史は今また激動の時代を迎えている。新たな対立と融和を乗り越えて、これからアメリカ社会がどう変化していくのか、映画と共に動向を注視していこう。
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