米CBSで1965年から放送された同名タイトルのドラマが原作。日本でも放送されていたが人気は出なかったらしい。以下の記事は、筆者がドラマ版のリアルタイム世代ではないため、ドラマ版をリアルタイムでテレビにかじりついて観ていた海外ファンによるネットレビューも参考にしつつ、書いていく。

1999年公開の本作、映画『ワイルド・ワイルド・ウェスト』(以下・WWW)は、ドラマ版とは作風が大きく変わってしまったため、ドラマファンからは即座に名だたる過去の低評価映画の仲間入りをさせられてしまった(原作改悪問題)。

アクションなのかコメディなのか、どっちつかずでただバカ騒ぎするだけの本作は、原作ファンが抱いている作品のイメージをことごとく裏切った。原作は子供向けでもありながら、イギリスの007シリーズのようにクールなスパイものでもあり、アメリカの成人男性が観ても血沸き肉躍るようなマッチョな西部劇の世界でもあったようだからだ。しかし本作は全体的に、漫画じみていて子供だましの演出が続く。

2025年現在、ディズニーが製作した実写版『白雪姫』(2025)が史上最低の改悪だとして、世界中の1937年公開のアニメ版『白雪姫』ファン(そして世界中の映画ファン)を激怒させているが、原作のファンが多ければ多いほど、そのイメージを覆す行為は挑戦でもあり、ほとんどの場合はタブーだ。

しかしながら、たくさんの人間が関わっている映画では、製作側の裏事情が作品のクオリティを左右することは否めない。映画はアートでもあるが、金儲けのための興行でもある。作品の中身がどうしようもなくても、映画館に観客を動員できさえすればいい(興行収入優先問題)。

本作『WWW』について、製作側の企画の立ち上げから完成までの細かい経緯については割愛するものの、キャスティングや監督候補が二転三転し、映画会社やプロデューサーの意見が反映され、立場の弱い監督や脚本家が無茶な意見を飲むこともあり、企画はお蔵入りになりかけ…となれば、コンセプトや原作ファンへの義理立てはどこへやら、製作側の完全なるご都合主義で作品が完成されることはお察しいただきたい。

コンセプトや創作に対する一貫した強い信念がない作品はどういう運命をたどるのか、といえば、三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』(1997)の登場人物たちのやりとりや、『影の軍団 服部半蔵』(1980)のアメフト姿の忍者のように、お客様に笑っていただくしかない(ツッコミどころがある作品というのも、もしかしたら広い解釈においての良い映画なのかもしれないが)。

個人的に本作は、アーティまでもがハイテンションにならなければ、ぼーっと観るには楽しめる娯楽作品だったのではないかと思う。地味で停滞気味だった当時の日本映画よりも映画館に行く価値はある。アメリカらしい大味で、CGなど特殊効果を駆使し、カラッとしていて、ウィル・スミスがベリーダンスする女装姿もなかなか可愛かったし…。

原作ファンは、主役がウィル・スミスだったことも気に食わないらしい、「ドラマ版は白人だったのになんで黒人がジム・ウェストなんだ?」という具合で…。どことなく下品で大声で叫ぶ役柄も…(主役のキャスティング及び演技問題)。

だが、そもそも、90年代に60年代の作品をそのまま再現するというのが、さすがに時代にそぐわないことではないか。

80年代に入ると、アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンなどの強靭な肉体を誇るパワフル系の俳優が存在感を増し始めて、アクションやバイオレンス系の映画が増えた。と同時に、元コメディアンのエディ・マーフィやジム・キャリー、ロビン・ウィリアムズのようにハイテンションな芸風の俳優も登場し始めた。彼らはそのまま90年代にかけて円熟味を増していって、その時代の顔にもなっていくわけだが、初めは肉体派だったシュワちゃんやスタローンもコメディ映画に出演するようになった、というように90年代は、本作『WWW』の酷評ポイントだったー漫画じみていて子供だましの演出-をするような時代でもあった、という一面もある。

それは時代の空気によって、求められる好みも変わっていったからだと思うのだ。筆者の記憶でも、90年代は、現在よりも明るいコメディ映画が多かったような気がする。

そして上記の俳優は、元ボディビルダーだったりコメディアンだったり、初めから俳優畑でキャリアを積んでこなかった。本作を主演したウィル・スミスも元はラッパーである。もともと演劇・映画畑とは別畑の彼らに、シリアスな演技を業界が求めていなかったのではないかと筆者は考えている。役柄だって、正統派の俳優より、賑やかしのようなものが多い。

という理由によって、本作でのウィル・スミスの演技は彼自身のミスでも文脈にそぐわない行為でもなんでもなく、時代と製作側のお膳立てによってできあがったものである。

古参の原作ドラマファンには申し訳ないが、メル・ギブソンやトム・クルーズ(ウィル・スミス以前に主役打診されていた面々)にキャスティングを断られ、主演がウィル・スミスになり、監督が『メン・イン・ブラック(以下・MIB)』(1997)でタッグを組んだバリー・ソネンフェルドと決まった時点で、原作に忠実にするよりも、『MIB』と同じバディものである『WWW』を『MIB』の焼き直し作品のように、再利用したほうが得策だと考える業界人がいるのは当然だろう。ヒット作の模倣は安全で安心な結果をもたらす率が高いからである。

それにしても、黙って西部劇版『MIB』の評価に収まっておけばよかったのに、全体のバランスを崩してまでも、騒がしくて目立ちたがりなアーティを演じてしまったケヴィン・クラインの罪は大きい。その一点が悔やまれる。