本作を認知したのは初め、2023年1月27日の朝日新聞、クロスレビュー欄の記事である。
米映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏の性加害に関する映画で、ニューヨークタイムズに掲載された彼への告発記事は、『#(ハッシュタグ)Me too』をつけてSNSに性被害に関する体験談を投稿する#Me too運動を引き起こすきっかけになったらしいと知る。
今となっては単なる無知としか言いようがないが、筆者は#Me too運動に正直、関心がなかった。ワインスタインという名前を聞いても、「あぁ、たしか後ろ手にされて手錠をかけられている映像をニュースで見たな…」ぐらいの感覚で、深くその事件の本質を知ろうとはしなかった。記事の中で識者は、フェミニズム映画とも捉えられる、と説明していたが、フェミニズムという言葉も言葉の音としてだけしか知らなかった。その時はとりあえず素通りした。
続けて、3月7日の朝日新聞、「上野千鶴子ブーム 中国女性の今」という記事を文化欄で読み、先述の映画の記事を思い出す。フェミニズムについての知識が、ワインスタインの性加害事件や世間の女性のおかれた立場を理解することに、まず必要なのではないか。上野千鶴子氏が筆者のフェミニズムへの入り口となり、彼女の著作を読み始めた。
これまで、女性の視点から社会を見つめようとする意識が完全に欠けており、自身に危害が加えられなかった男性社会の男の目線でしか、社会やものを見ていなかった、と自戒した。
フェミニズムの予備知識を多少なりとも頭に入れた後、千葉県柏市のキネ旬シアターで本作を鑑賞後、原作である書籍『その名を暴け #Me tooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』も読む。
映画が2022年に公開されたというのは、時期としてあまりタイムリーではなく、話題性にも乏しかったかもしれない。事実、評論家からの評価はそこそこ高かったものの、評判にならず、アカデミー賞の候補作にもならなかった。ハリウッドの超有名プロデューサーが作品の題材になっているのに。
#Me too運動が盛んだったのは2017年、2018年頃だったし、ワインスタイン氏は、2020年3月、ニューヨーク最高裁判所で禁錮23年の判決を既に受けてもいる。終わった話題だったのか?
しかしながら、#Me tooやワインスタイン事件というのは、性犯罪者が逮捕されたから一件落着、という話ではなく、この件をきっかけに、女性に対する社会的な仕組みや既得権益層の考え方が変わらなければ永遠に意味がない問題だ(男性が女性や弱者が憤慨している要素を理解し現状を変革する)。そして、どの時代のどの事件でも、ワンテンポ遅れて事の重大さを認識したり興味をもったりする人々も存在するはずだから(筆者がその1人)、この映画が製作されたことは十分に有益だろう。
本作を鑑賞したり原作を読むことは、そしてフェミニズムの考え方を知ることは、女性や弱者が暮らしやすい社会を考えていく上での一助になると思う。
ワインスタイン氏から性被害を受けた女優、ローズ・マッゴーワン氏の言葉を引き合いに出すと、ワインスタインだけでなく、ハリウッドの映画業界自体が、
・名声をえさに女性をおびきよせ
・高額の利益を生み出す商品に変え、体を所有物のように扱い、それから放り出し
・加害者は監視されていないので恐れておらず
・どのスタジオも、侮辱しては金を払って済まし
・大半が秘密保持契約書を結ばされ
・女の方がバッシングされ
・逃げようものなら、代わりの女優志望者はたくさんいる
のだという。
この言葉を突き詰めて考えていくと、映画産業に限らず、どの産業にも構造的な共通点が見いだせるのではなかろうか?と考える。少なくとも、女性にはピンとくるはずだ。
雇用を餌に若い女性をおびきよせ、男社会・オヤジ社会に放り込まれる。職場では女性従業員のほうが数が少なく、すぐに性的な視線や言動で弄ばれる。被害を受けて不快な思いをしても、どこに相談すればいいかわからない。職場の配置換えをしてもらっても、またしてもそこはオヤジ集団。親身になって相談にのってくれていた上司の薄皮一枚下は、またたく間に豹変するセクハラ野郎かもしれない。会社にセクハラ委員会があったって、男ばかりなのだから、本気で女性の待遇改善にのりだすかはいささか疑問だ。世の中の風潮にあわせてセクハラにならないような言動を暗記してきたオヤジたちだって、本当は何が問題なのか分かっていないこともある。
結局、職場を金のかからないキャバクラ・風俗としてしか見ていないオヤジたちから、女性の側が逃れざるを得ない。誰かが辞めたって、毎年若い女性は入社してくるのだ。
そもそも、職場や社会で権力を持つ者の多くが女性であれば、もしそれが極端だとしても、権力を持たざるとも組織における女性の割合が多ければ、男性から女性への性加害事件に蓋がされることはないはずだ。権力者や会社などの組織が男性中心だからこそ、性加害事件が起きても矮小化するような判断を下したり、見て見ぬふりをしたり、同じ男として共感しうる事柄として隠蔽を是とし、男たちは自らの保身にはしる。
男性優位社会は、会社の重役や性犯罪者でなくとも、男だというだけで、男の側に権力がある。女側が要望を通そうとすれば、男の権力におもねらなければならない構造がある。
男性側が女性に対する性をめぐる理解を深めると共に、社会や組織の構造も変わっていかなければならない。目の前に存在するのはAVやエロ本から抜け出てきたキャラクターではなく、感情のある1人の人間だという当たり前のことを最低限気に留めておくだけでも必要だろう。
筆者もまだまだ勉強不足なところがあり、このブログも具体性や説得性にかける文面になっていることは自覚しているが、また追ってジェンダーに関する理解が深まれば、記事として綴っていきたいと思っている。
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