1996年、日本で公開された周防正行監督作品『shall we ダンス?』のアメリカリメイク版。
監督はピーター・チェルソム、脚本はオードリー・ウェルズ、主演はリチャード・ギア、草刈民代が演じた若き憧れの先生役は、ジェニファー・ロペスが務める。
筆者にとって日本版は(90年代に生まれ育ったものにとって)作品にうつるファッションや街の雰囲気、映像の質感に、-80年代後半の好景気バブルの余韻をひきずりながらも、バブルがはじけてからすっかり自信をなくし、どう生きていけばいいのか当時の日本人の理想生活モデルを見失った、95年以降のくたびれた空気感-を多分に感じ取れて非常に懐かしく楽しめる作品である。
ストーリー展開や構図の組み立て方、セリフやキャラクター造形、俳優の独特の間合い、すべてが絶妙で面白い。
主人公を始めとした主要キャラクターたちは、大きく道を外れることはしない真面目な小市民。日常生活にそこはかとない不満をかかえ、それを発散する場を探している。その彼らが、ひょんなことから見つけた社交ダンスに生きがいを感じ、徐々に技術が向上していくごとに、灰色だった日常がカラフルに輝いていき、コンプレックスも吹っ飛ばし、まるで別人のように見違えて、ダンス大会で隠されていた能力を発揮していく。
その「カタルシス」の過程が、日本版の作品の妙味であり見どころになるわけだが、意図的に、稼ぎが多くはないだろう、ちびやデブやハゲ、おばさんを登場させることで作品の妙味は強調される。普段は良い思いをすることがなさそうな彼らを、社交ダンスを通して未知なる世界へ前進させるからこそ、応援したくなるし、共感できる。
日本版の『shall we ダンス?』は、作中の登場人物が当時の自信を失った日本人たちを代表して、理想や希望を与え、叶えてくれる作品だったのだ。
一方、アメリカ版は、というと、12時間ダイナーで働き、その後も家政婦の仕事をやって生計とダンスレッスンの費用をまかなっているボビー以外のキャラクターは、どこか切迫感がなく、ダンス教室なんか通いに来なくたって、それなりに楽しく明るく生きていけそうな奴らばっかりだ。
主人公のジョンは弁護士、家も、所沢の先にある駅から遠く離れた狭小住宅などではなくて、大きな敷地に緑が生い茂り、小鳥がさえずり、明るい陽のあたる‐屋敷-とでも呼べそうなところに住んでいるし、ダンス教室の面々だって、ヴァーンには可愛い彼女がいれば、チックだって見た目も悪くないし私生活で恋愛には不自由していなさそうだ。
アメリカ版のどこをみても「カタルシス」が成立する要素が存在しないのである。キャラクターに悲哀がなく「カタルシス」がなければ、どんなにダンスが上達しようと大会で成績を残そうと、感動は生まれない。
また、設定やプロットに多少の変更はあるものの、ほぼ忠実に日本版をそっくりそのまま再現していることも、評価の分かれ目になりそうだ。なんのために日本版になぞらえたのか?大きくアレンジをほどこしたほうが、リメイクとして作品の質が上がったのではないか?
周防正行監督によると、アメリカ版の撮影では、日本版の映像をモニターで流し、俳優たちがそれを見て確認しながら細かい演技の流れのお手本とした、と語っているが(wikipedia内の『Shall We ダンス?』脚注を参照)、それがアメリカ版の作品に良い影響を与えたのだろうか。
もう少し、羽目をはずしてでも、アメリカ独自の『Shall We Dance?』が観てみたかった。
リチャード・ギアお得意の、優雅でスマートなシーンを多用し(黒のスーツを着て妻のために一本の赤いバラを持ってエスカレーターを昇ってくる作中のシーンのような)、アメリカらしい大味なコメディに振り切っても、充分に楽しめたのではないか。
そしてもうひとつ、最後に文句を挙げるなら、ジェニファー・ロペスはたくましくて野性味のある人相、たたずまいが持ち味なので、憂いを帯びた様子など表現できないだろうから(失礼)、ダンス教室の窓辺に立たせないでほしかった。
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